母性本能と「教える」本能

2025年10月19日

研究レポート77・今日の記録:母性本能と「教える」本能
――アフリカの草原で始まる命の授業

セレンゲティの草原で朝を迎えるヌーの群れ。命の授業の始まりを象徴する情景
アフリカの草原で始まる命の授業 ― 母性本能と“教える”本能

1.命の教室 ― セレンゲティの草原で

セレンゲティ国立公園の南、果てしなく続く草原。乾季を越え、雨季の訪れとともに大地は再び息を吹き返す。湿った赤土の上に芽吹いた草は、朝露をまとって光り、風が渡るたびに無数の波紋を生む。遠くで雲が流れ、鳥が声を交わし、やがてヌーの群れが地平のかなたまで続いていく。ここはただの風景ではなく、生命が新しい命を迎えるための舞台。私はこの光景を見ながら思いました――この草原こそ、自然が作った「命の学校」なのだと。

雨上がりのセレンゲティ草原に広がるヌーの群れ。生命が共に学ぶ命の教室を象徴する風景
草原の風の中で、親から子へ、そして群れ全体へと知恵が受け継がれていく。

2.生まれ落ちた瞬間から始まる授業

静かな緊張が広がるなか、一頭の母ヌーが身を横たえました。やがて、大地の上にひとつの命が生まれ落ちます。生まれたばかりの子は、濡れた体を震わせながら、ためらうことなく立ち上がろうとします。脚はまだ細く、膝は頼りなく、何度も倒れ込みます。それでもあきらめません。まるで「立つこと」が生まれた瞬間から組み込まれた使命であるかのように、再び体を起こそうとします。その姿に、私は胸の奥をつかまれました。

3.「助けない」愛 ― 母のまなざしにある確信

母ヌーはすぐそばに立っています。動かず、声も出さず、ただ見守る。私はその沈黙を「冷たさ」と感じかけましたが、次の瞬間、母の目の奥にある静かな光を見つけました。それは祈りではなく、確信の光。「この子は立てる」と知っている者の目でした。焦りも不安もない。ただ、信じて待つ。母は、子の力を信じきっているのです。

立ち上がろうとする子ヌーを静かに見守る母ヌー。信じて待つ母性の象徴的な場面
助けずに待つ愛――それが、命を生き抜くための最初の授業。

4.走ることを教える ― 7分間の命のレッスン

そして、奇跡のように、子は立ち上がりました。震えながらも、四本の脚がしっかりと大地を捉えた瞬間、母はためらいもなく歩き出します。お乳を与える前に、まず“歩く”ことを教えるかのように。子は不安そうに鳴き、ふらつきながらも母の背中を追います。母は振り返らず、ただ一定の速度で歩き続けます。転べば待ち、追いつけば再び進む。その繰り返しの中で、二つの命の呼吸が徐々に合っていきます。母が速度を上げると、子も必死に走り出し、風の中に飛び込みました。生まれてわずか七分。親子はもう、草原を並んで走っていたのです。

この行動は、特別な親子の物語ではありません。群れ全体が同じように動いています。母たちは助けすぎず、見守りすぎず、必要な時だけ近づく。その絶妙な距離感が、命を育てる。群れの外側には捕食者が潜んでいます。だからこそ、立ち上がること、走ること、母についていくことは、生きるための最初の授業です。ここでは「甘やかし」は命取り。けれどその厳しさの裏には、「信じる」という優しさが隠れています。

5.信頼こそが「教える」力になる

私は思いました。母の「待つ」という行為は、ただの忍耐ではなく、信頼そのものなのだと。助けることよりも、信じて待つ方がどれほど勇気のいることか。母は子どもの中にある力を信じ、信じることでその力を引き出している。言葉ではなく行動で教える――それがヌーの「教育」なのです。

人間の心理学でいえばピグマリオン効果、つまり「期待が相手を育てる」という原理に似ています。しかしヌーの母のそれは、もっと原始的で、説明を超えた“生きる記憶”のように感じます。母のまなざしは、「いつか立てる」と信じるのではなく、「もう立てる」と確信している。未来ではなく、すでにそこにある可能性を見抜いているのです。

6.魚を与えるより、釣り方を教える ― 人間社会への鏡

私はこの光景を見ながら、ふと人間社会の言葉を思い出しました。
「人に魚を与えれば一日食べられる。魚の釣り方を教えれば一生食べていける。」
この格言が示すのは、“与える”愛よりも“信じて任せる”愛の尊さです。母ヌーは、魚を与えません。代わりに、釣り方――つまり「生きる力」を信じて見せています。教えるとは、知識を渡すことではなく、可能性を信じて見守ること。母性本能は、まさにそのために進化した「教える本能」なのかもしれません。

7.群れがつくる「学びの文化」

草原では、この教えが群れ全体に連鎖します。別の母親がその様子を見て、同じように子に接し、次の世代へと伝わっていく。血ではなく行動で受け継がれる文化。DNAが体を形づくるなら、行動は心を形づくります。草原という名の学校では、命の設計図とともに「信頼の設計図」もまた、受け継がれているのです。

8.現代の私たちへ ― 待つ勇気、信じる力

私たち人間もまた、同じことを繰り返しています。親も教師も、つい「転ばせたくない」と手を伸ばしてしまう。でも本当の教育は、待つことから始まります。失敗させる勇気、見守る覚悟。そこには「立ち上がる力はすでにある」という信頼が必要です。

ヌーの母親たちは、草原という教室で、誰に教わるでもなくその知恵を実践しています。彼女たちは知っているのです――教えるとは、守ることではなく、信じて託すことだと。

風が再び吹き、群れがゆっくりと動き始めました。母はもう振り返りません。子がついてくることを「知って」いるからです。その背中には、揺るぎない静けさがあります。私はその姿を見て思いました。信頼があるから待てる。待てるから、学びが生まれる。教えるとは、愛の中で最も深い「信じる」という行為なのだと。

母ヌーの教えを受け取り、自らの道を歩き始める子どもの姿。
教えるとは、信じて手放すこと――草原の風が、その答えを静かに運んでくる。

今日の気づき

待つことは、信じること。
信じることは、教えること。
魚を与えるより、釣り方を教える――その知恵は、アフリカの草原にも静かに息づいていました。