赤ちゃんライオン、狩りの授業に挑戦 ― 群れの中で育つ“学びの文化”
赤ちゃんライオン、狩りの授業に挑戦 ― 群れの中で育つ“学びの文化”

1.朝の草原に広がる教室
サバンナの朝は、思いのほか静かだという。『アフリカの野生動物誌』の記録を読むと、太陽が地平線の向こうから顔を出すころ、草原のあちこちにゆるやかな動きが生まれる。霧のような湿気をまとった空気の中で、トムソンガゼルが草を食み、その陰に小さな影――まだあどけなさの残る子ライオンたちがいる。
彼らの周囲には、母や姉たちがいる。それが「プライド」と呼ばれる群れ。この群れこそが、赤ちゃんライオンにとっての学校だ。ここでは教科書も先生もいない。学び方はただ一つ――“見て、まねて、失敗して、覚える”。
母たちは、決して手を出さない。 ただ見守る。この日も、子どもたちが草の陰で小さく動くたび、母たちはじっと視線だけでそれを追っていた。どうやら、今日のテーマは「狩りのまねごと」のようだ。
2.始まりの合図 ― 群れの中で生まれる集中
最初に動いたのは、少し大きめの若いオス。低く身を沈め、草むらをすべるように前へ進む。その姿勢を見て、近くにいた二頭の子どもたちも動いた。「まねっこ」が始まったのだ。まだ本当の狩りではない。でも、その緊張の空気は群れ全体に伝わっていく。
それまで尻尾を追いかけて遊んでいた子どもたちも、一頭、また一頭と動きを止めた。兄弟の真似をして、草の陰に身を伏せる。トムソンガゼルの群れが少し離れた場所で草を食み、その背後を風がゆっくりと撫でていく。
子どもたちは、まだ何をどうしていいのか分からない。けれど、体のどこかに眠っている“狩りのリズム”が確かに目を覚まし始めているようだった。
一頭が、音もなく前へ進む。もう一頭が追いかける。草が揺れるたびに、日差しがちらちらと背に差し込む。まるで草原そのものが、子どもたちを試しているようだ。
3.緊張の糸と、失敗の瞬間
群れが静まり返る。草のざわめきさえ止まったように感じる。
先頭の若ライオンが、飛び出す体勢に入った。体の筋肉がピンと張り、耳の先まで力が宿る。その瞬間、すぐ後ろにいた小さな弟分が、たまらず飛び出してしまった。
狩りの合図を誤ったのだ。勢い余って飛びついた相手は――獲物ではなく、その先頭にいた兄ライオンの背中だった。
驚いた兄が転がり、草が大きく揺れ、トムソンガゼルたちはいっせいに走り出す。草原に舞い上がる砂煙。その向こうに、逃げていく影。

子どもたちは呆然と立ち尽くす。母たちは動かない。ただ遠くから見つめている。叱ることも、慰めることもない。沈黙の中で、群れ全体が“失敗”を共有していた。
この沈黙こそが、ライオンの教育なのだと、私は本を読みながら何度もうなずいた。
4.遊びの中にある「練習」
失敗のあと、子ライオンたちはまた遊び始める。草の上で転がり、取っ組み合い、尻尾を追いかける。さっきまでの緊張は、まるで嘘のようだ。でも、この遊びがそのまま“練習”でもある。
噛む強さ、踏み込みの加減、間合いの取り方。すべてが本番の狩りにつながっていく。兄弟でのじゃれ合いは、同時に「筋肉の授業」でもある。母たちはその様子を遠くから眺めながら、「今日はここまで」とでも言うように背を向けた。
日が傾き、影が長く伸びていく。子たちは、母の歩いた跡をたどって群れへ戻る。草原の風が、今日の“授業の終わり”を告げていた。
5.群れの中で学ぶ「ルール」
狩りの技術だけが、子どもたちの学びではない。プライドの中には、“生きるための社会のルール”がある。
たとえば、順番。食事のとき、先に食べるのは母や年長のメス。子どもたちはその輪の外からじっと見て、食べてよいタイミングを覚えていく。
また、あいさつの仕方。群れのメスに近づくとき、子どもたちは鼻を寄せ、相手の匂いを確かめる。その瞬間、群れの絆が確認される。この“においの挨拶”が、社会性の基礎だ。
こうした日々の習慣が、狩りのときの呼吸の一致にもつながっていく。つまり、「協力する力」が群れの中で育まれているのだ。
6.母たちの“沈黙の教育”
母ライオンは、言葉を使わない。ただ見て、待つ。「教える」というより、「信じて見守る」。それがライオン流の教育法だ。
『いきもののおきて』の中で岩合光昭さんはこう書いている。
ライオンに襲われたことは一度もない。野生のライオンは、人間を“襲うべき相手”として見ていない。
つまり、彼らは「狙う相手」「狙わない相手」を、学びながら身につけているのだ。その基準をつくるのも、やはり母。子がどんな反応を見せるかを見守りながら、群れ全体で“判断の知恵”を共有している。これは、まさに文化の継承だと思う。血ではなく、行動によって伝わる文化。それがプライドという“命の共同体”の根を支えている。

7.再挑戦 ― 呼吸の合ったチーム
翌朝、また同じ草原。トムソンガゼルの群れが戻ってきていた。昨日の失敗が、子どもたちの中に静かに残っている。
今度は、みんなが慎重だった。風の向きを確かめ、草の揺れを読む。誰も声を出さず、目だけで合図を送る。一頭が右へ、もう一頭が左へ。呼吸がぴたりと合う。
このとき、遠くの母が尾をゆっくり動かした。――その仕草が合図のように見えた。
結果は、またしても失敗。ガゼルは風下へ逃げていった。けれど、子たちの顔には不思議な充実感があった。走る姿勢、風の流れ、距離の感覚――昨日よりも、確実に何かをつかんでいる。
母は立ち上がり、あくびをひとつ。それが「今日の授業はここまで」の合図だった。
8.群れが育てる“考える力”
私は本を読みながら、「怒らない教育」という言葉を思い出した。ライオンの母たちは、決して叱らない。失敗は、次への糧。その静かな余裕の中で、子どもたちは「考える力」を磨いていく。
人間の教育でも、これほどの信頼は難しいかもしれない。でも自然界では、それが普通のこととして行われている。彼女たちは知っているのだ。“自分で考えて行動する子”こそが、生き延びる子であるということを。
9.狩りの技術と、命の文化
ライオンの狩りは、生きるための技術。けれど、その奥には「命の文化」がある。
狩りの練習を通して、子どもたちは忍耐、協力、観察、判断――さまざまな感覚を学んでいく。そしてそれらは、狩り以外の場面でも活きている。
水場へ行く順番、休む場所の取り方、仲間を守るための立ち位置。すべてが、群れの中で身につく“生きる知恵”だ。
プライドの中では、生きることと学ぶことがまったく同じ意味を持っている。それが、野生の学校なのだ。

10.今日の気づき
赤ちゃんライオンは、草原の中で走り、失敗し、学びながら成長していく。その一つひとつの行動が、命をつなぐ授業。
私はその記録を本の中で読むたびに、人間の社会にも通じるものを感じる。「失敗は悪ではなく、成長の証」。それを教えてくれるのが、彼らの生き方だ。
プライドという学校の中で、母たちは言葉を使わずに教え、子どもたちは遊びの中で学ぶ。その静かな教育の連鎖が、草原の命を今日も支えている。
📘参考文献:
黒田弘行『アフリカの野生動物誌』岩波書店
岩合光昭『いきもののおきて』新潮文庫
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