目の登場と「見ること」の学習
研究レポート77・動物たちの学校⑱特別授業
目の登場と「見ること」の学習

私たち人間が当たり前のように使っている「視覚」。
しかし、生命が誕生した初期の世界には、
いま私たちが感じている「見える」という感覚は存在しませんでした。
当時、生き物たちは光と闇の違いをほんのわずかに感じられるだけで、
ほとんど手探りのように生き延びていました。
近づいてくる仲間や天敵の姿も、触れる寸前まで気づけない。
「見えるようになること」は、それだけで革命だったのです。

そんな中、光を少しでも強く感知できる細胞が現れました。
たったそれだけの違いで、
餌のある方向を察知したり、
危険を避けたりすることができる個体が生まれはじめたのです。
これが、のちに「目」になる器官の始まりでした。
視覚は、生命に「未来を予測する力」を与えました。
目ができたことで、「次に何が起きそうか」を感じ取れるようになったのです。
それは、生き延びる確率を飛躍的に高めました。
この小さな変化の始まりが、
心や文化といった高度な知性の発達へ続いていきます。
第1章:心のはじまりは、「相手を見ること」だった

目は情報を得る感覚器官です。
しかし、情報を得るだけではありません。
目は、相手の行動を理解し、気持ちを想像するための最初のツールでした。
オランウータンの子どもは、親の背中で過ごしながら学びます。
どこに足をかければ落ちないのか、
どの果実が食べられるのか、
どの枝が寝床に適しているのか。
すべて、親を“見て”覚えるのです。
見ることができるから、
真似ることができる。
真似ることができるから、
学ぶことができる。
こうした学習が、
仲間同士の絆や信頼関係を発達させました。
表情や仕草、声のトーンの微細な変化を視て、
「あ、怒っているかも」
「あ、喜んでいるな」
と判断できるようになったのです。
仲間を理解し、
仲間の感情に寄り添い、
仲間を助ける。
こうした心の発達は、
視線が繋いだ小さな気づきの積み重ねから始まったと言えます。
第2章:脳を飛躍させた視覚の力

目から入ってくる情報は膨大です。
色、形、動き、距離、表情……
たくさんの情報を一瞬で処理する必要がありました。
そのために脳が発達しました。
視覚情報を処理するための神経回路が増え、
次に起きることを予測する能力が磨かれていきました。
たとえば、獲物を追うチーター。
ただ速いだけでは獲物を捕まえられません。
獲物の動きを予測し、
その「少し先」に動く――
これこそ視覚と脳が作り出した高度な連係プレーです。
視覚によって、
生存競争は一気に激しさを増し――
追う者、逃げる者が互いを出し抜こうと進化を加速させました。
この「軍拡競争」が、
脳をより賢くし、
新しい戦略を生む原動力となったのです。
第3章:母と子の絆は、視線で深まった

視線には「心を伝える力」があります。
母と子が見つめ合うことで、
「ここは安全」「あなたは守られている」
というメッセージが伝わります。
人間の赤ちゃんは、生後すぐから「視線を追う」力を持っています。
これは、本能に近いコミュニケーションの力です。
表情が見えることで、安心が伝わり、信頼が生まれます。
他の動物にとっても、
「目が合う」ことは大きな意味があります。
仲間同士の連携、
危険の共有、
遊びの誘い――
視線は言葉よりずっと早く心を通わせることができる手段でした。
目があることで、
私たちは「心の存在」を感じ取れるようになったのです。
第4章:視覚がつくった文化 ― 見て覚える、真似て伝える

視覚がもたらした最大の革命は、
人類にとどまらず生きものに共通する「文化」の始まりでした。
イルカは海綿スポンジを道具として使うことがあります。
これは視覚を通して学び、仲間に伝えていく行動です。
「見て真似る」という行動が
技術を世代間で受け継がせてきたのです。
視覚があるから、
一度誰かが成功させたテクニックを真似できる。
DNAの変化を待たなくても、
社会全体のレベルを引き上げることができるのです。
カラスは観察力が非常に高く、
わずかな時間で道具の使い方を学習することがあります。
視覚は、賢さを高める「ショートカット」でもありました。
火を扱い、
道具を作り、
言葉を生み、
芸術を育てた――
このすべては、「見える」ことから始まったのです。
おわりに:目は、私たちを結びつける器官だった
もし目がなかったら、
私たちの考える力も、文化を作り上げる力も、
ここまで発展することはなかったでしょう。
しかし同時に――
私たちの文化は視覚だけで成り立っているわけではない
ということも忘れてはいけません。
視覚を失っても、
人は言葉や触れ合い、音など、
さまざまな感覚で心を通わせ、文化を受け継いでいきます。
文化は視覚から始まったけれど、
視覚を超えて広がり続けています。
それでも、はじまりはやはり
「見ること」だったのです。
目は世界を見る器官であるだけでなく、
世界と私たちをつなぐ窓でした。
今日の気づき
目がなければ気づけなかった世界がある。
心を動かし、
未来を想像し、
文化を生み出した。
その力は今も私たちの中で生きている。
参考文献・出典
Andrew Parker (2003) “In the Blink of an Eye: How Vision Sparked the Big Bang of Evolution.”
Michael F. Land & Dan-Eric Nilsson (2002) “Animal Eyes.”
Janet Mann et al. (2008) “Dolphins use sponges as tools.” Science
Alex Kacelnik et al. “New Caledonian Crows and the Evolution of Intelligence.”
Carel van Schaik et al. “Orangutan cultural transmission studies.”
霊長類の視覚と社会性に関する総説論文(複数)










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