赤ちゃんのハイハイと進化の大冒険
研究レポート77・動物たちの学校⑰特別授業
赤ちゃんのハイハイと進化の大冒険

赤ちゃんがはじめて自分の力で動き出す瞬間を、見たことがあるでしょうか。
小さな手足が床を押し、顔を上げ、まだ不安定な体で少しずつ前に進んでいく。
何度も転び、手が滑り、顔を床につけ、それでもまた起き上がる。
その一連の動きの中には、言葉にできないほどの意思とエネルギーが感じられます。
誰に命じられたわけでもなく、
「ここに行きたい」と思った方向へ向かう――その純粋な衝動。
それこそが、人間の行動の最も根源的な形なのかもしれません。
そして不思議なことに、この「動きたい」という感覚は、
人間だけでなく、生命そのものに共通しているように思えるのです。
私たちの体の奥に眠る何かが、「動く」ことを覚えている。
その記憶は、太古の海で最初に命が誕生した時から続いているのかもしれません。

1.“動く”ことが、生きることの始まりだった
地球がまだ落ち着かない時代、空には酸素がほとんどなく、
海は熱と光が入り混じる混沌の世界でした。
そこに、偶然の積み重ねから最初の生命が生まれました。
彼らはまだ目もなく、足もなく、
ただ細胞膜に包まれた小さな有機体にすぎませんでした。
海流に身を任せ、漂いながら光や栄養を受け取り、
やがて次の瞬間には消えていく儚い存在。
しかし、その中の一部に、ほんの少し違う者がいました。
流れにただ乗るのではなく、自らわずかに方向を変えようとする個体。
外界の刺激に反応し、自らの位置を選ぼうとする生命。
その“動ける”という小さな違いが、生と死を分けたのです。
火山活動による温度変化、酸素の増減、海流の乱れ。
地球の環境は常に変化し、安定という言葉とは無縁でした。
そんな世界で、「動けること」こそが唯一の生存戦略だったのです。
生物が最初に得た能力は、武器ではなく、“移動”でした。
筋肉や骨がまだ存在しない時代に、
「よりよい環境へ行きたい」という方向性の感覚が生まれた。
それが、進化の最初の一歩だったのです。
この“動きたい”という心のような衝動は、
後にすべての生命の行動原理として引き継がれていきます。
海の中で誕生したこの小さな意志が、
今も私たちの体の奥に静かに息づいている――そう考えると、
赤ちゃんのハイハイは、ただの成長ではなく、
生命の記憶が再び目を覚ます瞬間なのかもしれません。

2.大量絶滅がくれた“進化のリセット”
地球の歴史には、いくつもの“終わり”がありました。
それは、大量絶滅という名のリセットです。
隕石の衝突、火山の噴火、気候の激変。
原因はさまざまですが、どの時代でも、
地球の生命のほとんどが一度は姿を消しています。
最初期の大量絶滅のときも、同じことが起こりました。
海の環境が変わり、酸素が増減し、
動けない生命はその場に取り残されて滅びました。
一方、潮の流れに乗り、環境を探して移動できた生命は生き残った。
つまり、「動き続ける者」が進化の流れをつくったのです。
この出来事は、生命の歴史の方向を決定づけました。
動けるものは、次の時代をつくる。
その記憶は、きっと命の奥深くに受け継がれたのでしょう。
後の時代にも、似たようなことが繰り返されました。
恐竜が絶滅したとき、夜行性の小さな哺乳類たちが地上に出ました。
暗闇の中で動き回り、食料を探し、
やがて知能を高め、火を使い、道具を生み出しました。
滅びは悲劇ではなく、
次の命を押し出すための“揺りかご”だったのかもしれません。
地球という星は、破壊と再生を繰り返す中で、
「動き続ける生命」だけを生かし続けてきたのです。

3.陸に挑んだ命と、“ハイハイ”の共鳴
やがて生命は、海の境界を越え、陸に挑みました。
その姿は、どこか赤ちゃんのハイハイに似ています。
ぬかるんだ地面に腹ばいになり、手足を動かして進む。
まだ重力に慣れず、乾いた空気に水分を奪われながら、
それでも前へ進もうとした。
最初の一歩は、きっと痛みを伴う冒険だったでしょう。
しかし、その苦労の中で、骨格が変化し、筋肉が発達しました。
足が体の下に入り、立ち上がって歩けるようになる。
その変化は、やがて自由を生み出します。
四本足の哺乳類、二本足の恐竜、そして人類。
進化のどの段階にも共通するのは、
「もっと遠くへ行きたい」「より自由に動きたい」という欲求です。
この欲求が、進化を駆動するエネルギーになってきました。
赤ちゃんのハイハイも同じです。
彼らは世界を知りたいと思うから動く。
その小さな前進のたびに、体と脳が世界を理解していく。
進化とは、いつの時代も「好奇心の延長線上」にあったのです。

4.“動くこと”が、心を育てた
動くという行為は、単なる運動ではありません。
それは「感じること」と「考えること」の始まりです。
動かなければ、世界の変化を知ることはできません。
けれど、一歩を踏み出せば、風の向き、地面の硬さ、匂いの違い――
あらゆる刺激が感覚を通じて心に届きます。
生物が動くたびに、神経は反応し、脳は学び、記憶を作る。
動きが脳を育て、脳がさらに動きを洗練させる。
この循環が、「知能」と呼ばれるものを育てていきました。
赤ちゃんがハイハイを通して学ぶのも、まさにこのプロセスです。
部屋の隅にある光るものを見つけ、
それに向かって動き、触れて、確かめる。
その一連の流れが、感覚の地図をつくり、
やがて思考の基盤になります。
“動く”ということは、つまり“世界と出会う”ことなのです。
動かずにいる限り、世界は狭いまま。
けれど動くことで、世界の広さと自分の存在の輪郭を知る。
それが、心の成長そのものなのだと思います。

5.私たちの中に流れる「動きの記憶」
赤ちゃんがハイハイを始める瞬間。
それは、生命がもう一度、自分の歴史をなぞっているようにも見えます。
海の中で動いた命、陸に上がった命――
その記憶が、今も人間の体の奥で脈打っています。
「動きたい」という心は、単なる反射ではありません。
それは、命の深層から湧き上がる“生きたい”という意思の表現です。
だからこそ、私たちは赤ちゃんの動きに感動する。
そこに、太古の自分たちを見ているのかもしれません。
人生の中でも、この“動く本能”は変わりません。
住む場所を変える、仕事を変える、新しい挑戦をする――
それらはどれも、よりよく生きようとする自然な行為です。
人は動くことでしか、自分を更新できないのだと思います。
赤ちゃんの一歩と、私たちの一歩は、
規模こそ違えど、根っこは同じ「生命の記憶」から生まれています。
それを思えば、人生のすべての変化は、
どこかハイハイの延長線上にあるように思えてくるのです。

今日の気づき
赤ちゃんのハイハイを見ていると、
「動くこと」は希望そのものだと感じます。
立ち止まる時も、心の奥では何かが動いている。
進化って、もしかしたら“動きたい”という心を受け継ぐことなのかもしれませんね。
生命の旅は、まだ終わっていません。
参考文献・出典
- 生命の起源と進化に関する一般理論(Nick Lane, Stephen Jay Gouldなど)
- 哺乳類の地上進出と大量絶滅後の進化:生物学的通説に基づく描写










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