不平等を嫌うサル ― 公平感覚は学習か本能か

2025年11月13日

研究レポート77・動物たちの学校⑮高等科
不平等を嫌うサル ― 公平感覚は学習か本能か

ガラス越しに座る2匹のサル。キュウリを投げるサルと、ブドウを持つサル。公平さを訴える瞬間の実験風景。
公平を訴えるサル ― わずかな違いが社会の感情を生んだ瞬間。

2匹のサルが、透明なガラスの仕切りをはさんで並んで座っています。
研究者が手元の小さな石を差し出すと、サルたちは慣れた手つきでそれを受け取り、また差し出します。
小さな実験室の空気は静かで、わずかに金属音と研究者の衣擦れの音だけが響いています。
最初は穏やかで、どこか規則正しいやりとりに見えました。
しかし、次の瞬間、その均衡は崩れます。
――ひとつの違いが、世界を変えたのです。

左側のサルにはキュウリ、右側のサルにはブドウ。
最初のうちは、どちらも満足そうに食べていました。
けれど、左のサルがふと隣を見た瞬間、表情が一変します。
目を見開き、手を止め、そしてキュウリを放り投げました。
檻の鉄格子が激しく鳴り、部屋の空気がピンと張り詰めました。
「おかしいじゃないか!」
その叫びは言葉にならないのに、誰の胸にも響くようでした。

この実験映像を初めて見たとき、私は思わず笑ってしまいました。
けれど笑いながら、胸の奥が少し痛くなりました。
――これは、まるで人間社会の縮図ではないかと思ったのです。

怒ったサルの映像を見つめる研究者。観察する側とされる側の静かな対比。
サルを観察する人間 ― その目の奥にも同じ感情があるのかもしれません。

同じ仕事をしているのに、なぜか自分だけが評価されない。
くじ引きで隣の人が当たり、自分は外れる。
SNSでは似たような内容を投稿しても、あの人の方が「いいね」がずっと多い。
そんなとき、胸の奥で何かがチリチリと燃えるように感じます。
あのサルの投げたキュウリが、まるで自分の心の中でも飛んでいるようでした。

比べるという本能

この「不平等実験」を見ていると、サルが示す“公平感覚”は、
高尚な道徳心ではなく、もっと根っこの「比べる本能」から生まれているように思えます。

私たちは、世界を知覚するとき、必ず“差”を感じ取っています。
明るい・暗い、温かい・冷たい、美味しい・苦い。
すべての感覚は、脳の中で基準と比較されて初めて「感じる」ことになります。
ただし、それは必ずしも他者との比較ではありません。
痛みや空腹のような一次的な感覚は、外との比較なしでも生じます。
けれどその強さの判断や「我慢できる・できない」という評価は、
過去の経験や体内の“記憶された基準”との比較によって決まっているのです。

つまり、比較するという働きこそ、感覚と知性をつなぐ共通の仕組みなのです。

不平等を感じるときも同じです。
左のサルは、ただブドウを見た瞬間に自分の世界の基準が変わったのです。
それまでは満足していたキュウリが、もう「足りない」と感じられる。
そのわずかなズレこそが、社会的感情の始まりだったのかもしれません。

比べることは痛みを伴います。
でも、その痛みがあるからこそ、私たちは「違い」に気づき、学び、進歩してきました。
比較は、進化にとって避けられない“刺激装置”だったのです。

枝の上で食べ物を分け合うサルたち。中央のサルだけが不満そうに見つめている。
群れの中の小さな不満 ― それも社会の秩序を守る感情の一つです。

不満は社会の痛覚です

では、なぜ進化はそんな痛みを残したのでしょうか。
それは、群れの「協力」を守るためだったのだと考えられています。

群れの中で一部の個体だけが得をし続けると、
他の仲間たちはその関係を信じられなくなってしまいます。
信頼が失われれば、協力も続かなくなります。
だからこそ、「不満」という感情が、社会のバランスを保つための“痛覚”として残ったのです。

不満は、身体でいえば「痛み」によく似ています。
手を火に近づけたときの熱さが危険を知らせるように、
不満もまた、社会の秩序が崩れかけていることを知らせるサインなのです。

興味深いことに、サルの怒りは「争いのための怒り」ではなく、
「協力を壊さないための警報」だったのかもしれません。
群れにとっての不満は、争いの種ではなく、秩序を修復するための感情の免疫反応だったのです。

不満を正しく向ける知恵

しかし、痛みを感じるだけでは混乱が起きます。
大切なのは、その痛みをどこへ向けるかです。

サルの実験をよく見ると、彼らはただ怒っているのではありません。
「誰が原因なのか」を、しっかり観察しているのです。
報酬を与えた研究者が悪いのか、
それとも隣のサルが得をしているのか。
その違いを見抜くように、鋭い目で周囲を見ています。

もしその判断を誤れば、怒りは的外れになり、
群れの信頼そのものが崩れてしまいます。
だからこそ、原因を見極める知性が必要だったのです。

私たち人間も同じです。
「誰のせいか」を間違えた瞬間に、関係は簡単にこじれます。
怒りを正しく扱うこと。
それが、群れを守り、信頼を取り戻すための知恵なのです。

不満が生んだ信頼

不満という感情は、一見すると厄介で面倒なものに思えます。
けれど、その奥には「信頼の残り火」があるのだと思います。
もし本当に見放していたら、怒りすら湧きません。
痛みを感じるということは、まだつながりを諦めていない証拠です。

家族や友人、職場の仲間――誰かに対して不満を感じるとき、
それは同時に「もう一度関係を修復したい」という心の動きでもあります。
サルの怒りも、信頼を壊すためではなく、
むしろもう一度バランスを取り戻すための“合図”だったのではないでしょうか。

サルと人間が同じ姿勢で考えている。進化のつながりと文化の原点を示す象徴的な構図。
「考える力」は、比べる心の延長にある ― 文化は痛みの翻訳装置。

比べる心が生んだ文化

人間社会を見渡すと、この“比較の本能”が文化の根っこにあることに気づきます。
芸術も、科学も、スポーツも――誰かと自分を比べるところから始まっています。
他人の作品に刺激を受け、「自分もやってみたい」と思う。
他者の成果を見て悔しさを感じ、それが努力の火を灯す。
それもまた、不平等を感じ取る力の延長線上にあるのです。

痛みがあるからルールが生まれ、
ルールがあるから信頼が育つ。
その循環が、社会という不思議な共同体を支えてきました。

今日の気づき ― 比べる心と信頼のあいだに

比べる心は痛みを生む。
でも、その痛みを感じられるということは、
まだ誰かを信じている証だ。
不平等を嫌うという小さな反応の中に、
群れを守る本能と、つながりを取り戻す力が生きている。

木漏れ日の中で寄り添う2匹のサル。争いの後の穏やかな時間。
怒りのあとに残るのは、信頼を取り戻そうとする静かなぬくもり。

参考文献・出典

  • Frans de Waal & Sarah Brosnan(2003)“Monkeys Reject Unequal Pay”(Nature)