研究レポート77・カナリアの学校、歌を学ぶ命の授業

77歳になって、あらためて「研究ごっこ」を始めてみました。
タイトルは勝手に《研究レポート77》。
人の心や動物の行動、進化、そして「命ってなんだろう」という感覚を、自分なりに見つめ直すノートです。

「歌を忘れたカナリヤ」

「歌を忘れたカナリヤは、うしろの山にすてましょか…」
北原白秋の詩で始まる童謡をご存じでしょうか。

子どものころに耳にしたときは、「ちょっとこわい歌だな」と感じた記憶があります。
でも今あらためて考えてみると、この歌は単なる比喩ではなく、カナリアの生態と深い関わりがあるのだと気づきました。

カナリアの学校:歌を学ぶ臨界期

カナリアをはじめ多くの小鳥は、臨界期と呼ばれる大切な時期に「歌」を学びます。
周囲の成鳥の歌を聞き、それをまねて、自分の歌を作り上げていくのです。

もしこの時期に歌を聞けなければ、鳴き声は不完全で雑音のようになり、仲間のカナリアには通じません。
つまり「歌を忘れたカナリヤ」ではなく、「歌を学べなかったカナリヤ」は、本当に生き残ることが難しくなってしまうのです。

歌は命のパスポート

縄張りを示すサイン

メスにアピールする求愛の歌

仲間として認められる合図

どれも、歌がなければ社会の中で生きていけない重要な役割を果たしています。
だからこそ、カナリアにとって「歌を学ぶこと」は命をつなぐ授業、まさに“学校”なのです。

私たちにとっての「歌」

人間にとっても、「歌」にあたるものがあるのではないでしょうか。
言葉や習慣、地域の文化――。
それらを小さいころに学んだからこそ、私たちは社会の中で生きてこられたのかもしれません。

童謡「歌を忘れたカナリヤ」を思い出すとき、ただの寓話ではなく「学びの大切さ」を映し出した歌にも見えてきます。

今日ためしてみたいこと

今日の小さな実験として――
「自分にとっての“歌”は何だろう?」と考えてみませんか。

それは、誰かに教えてもらった言葉かもしれません。
あるいは、いつの間にか身についた地域のしきたりや、家族の習慣かもしれません。

実際のカナリアの歌を聴いてみませんか?

ここまで読んでくださった方に「お土産」です。
言葉だけでは伝わらないカナリアの“歌”を、ぜひ耳で確かめてみてください

今日の気づき

カナリアの学校は、歌を学ぶ命の授業だった。