研究レポート77・体と心はセットで進化した
77歳になって、あらためて「研究ごっこ」を始めてみました。
タイトルは勝手に《研究レポート77》。
人の心や動物の行動、進化、そして「命ってなんだろう」という感覚を、自分なりに見つめ直すノートです。
大縄跳びが教えてくれたこと
テレビで小学生たちの「大縄跳び大会」を見ました。
大勢で息を合わせて縄を跳び続け、成功回数を競う大会です。
優勝したチームの子どもたちは、抱き合って大喜び。
その姿を見て、私も一緒に感動してしまいました。

けれどふと思ったのです。
もし参加チームが1チームだけで「跳べば優勝」だったら、同じように喜べたでしょうか?
きっと冷めた気持ちになってしまったに違いありません。
本能が動く条件
彼らは優勝を目指してたくさん練習をしたのでしょう。
でもそのとき、一番力が入るのはどんな場面でしょう?
1.参加が自分たちだけ → 勝てるのが分かっているとき
2.勝つか負けるか分からない → 頑張れば勝てるとき
3.相手が強すぎて絶対に勝てないとき
一番燃えるのは「2. 頑張れば勝てるかもしれない」という場面ですよね。
つまり、本能はこんな指令を出しているように感じます。
絶対に得られないものには欲求は起きない
確実に得られるものにも欲求は起きない
努力次第で得られるかもしれないものにこそ、強い欲求が起きる
その欲求はドキドキ感や感動、情熱といった感情を通じて、体を動かすエネルギー源になっています。
体と心は二人三脚

生き物の体だけがあっても、進化は起きません。
そこに「欲しい」「挑戦したい」という心の働きが加わってこそ、練習し、工夫し、次の世代へと力をつないでいけます。
本能は「効率よくエネルギーを使え」というシンプルなルールを持ち、体と心を同時に動かしてきた。
だからこそ、生命はここまで進化してきたのだと思います。
同じおもちゃでも、障害物を乗り越えて手に入るものの方に子どもが惹かれる――そんな心理実験もあります。
もしかしたら、「努力して得られるもの」を魅力的に感じるのは、人間だけでなく、生き物すべてに通じる本能なのかもしれません。
あなたはどう思いますか?
あなたが最近「これは頑張れば手に入るかも」と感じて、本気になれた瞬間はどんなときですか?
逆に「確実に手に入る」と分かって冷めてしまった体験もあったのではないでしょうか。
今日の気づき
体と心は別々に進化したのではなく、いつもセットで進化してきた。
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