人は快を求めて、苦を避ける
これ、ジェームス・スキナーっていう人が言ってたこと言葉ですが、よく分かりますよね。
きっとあなたも、楽しいことと辛いことがあったら、やっぱり楽しいことの方に行っちゃいますよね。
私もおんなじです。おいしい食べ物を食べる方は大好きですが、後始末はだいっ嫌いです。
「コトバンク」とかいうのによると、これは
「快感原則」
なんていう名前までついてるようで、
人間の心理を基本的に支配している
と言ってました。
この「人は快を求めて、苦を避ける」の言葉ですが、
あなたもそう思いますか?
もちろん私もそう思っています。
が、これって人間に限ったことじゃなくて、すべての動物について言えることなんじゃないかなあ、とも思ってるんです。
子供のころの話なんですが、
私が育った田舎の農家では、ニワトリを庭で放し飼いにしてました。
その放し飼いにされて歩き回っているニワトリを見ていた時の話です。
そのニワトリが、何やら餌になりそうなものを見つけたようで、その餌のところにとことこと近づいて行くんです。
すると家主が
《こら~!
それはお前の餌じゃねぇぞ!!》
とばかりに 走って行って ニワトリを追っ払います。
ニワトリはびっくりして飛び上がって、すぐさま走って逃げます。
この、ビックリして逃げるっていうのは、すべての動物の本能なんでしょうね。
ところが あのニワトリには素晴らしい特技があったんです。
それは・・・
《3歩 歩くと忘れる》
これ、素晴らしい特技ですね。私もこんな特技が欲しいなぁなんて思うこと、よくあります。
そして、あのニワトリはこの特技を発揮して、一度は走って逃げたものの、しばらくすると何食わぬ顔で、また餌の方に近づいてきます。
すると、それに気づいた家主がまたまた追っ払いに行くんですね。
こんな勝負が延々と続いたりしてました。
この勝負の結果がどうなったのかは、まあ置いとくとして、
どうしてニワトリは餌の方に歩いて行ったり走って逃げたりしてたのかな?
っていうことをもう少し考えてみたんですね。
すると、
ここはあなたのご想像通り、ニワトリだって
快 = (餌)
を求め
苦 = (危険)
を避けていたんですね。
ただニワトリの場合、残念ながら脳の記憶メモリの容量がとてもとても小さくて、物事を長くは覚えていられない、っていう弱点があったみたいなんです。
人間だったら以前の怖い経験はしっかり覚えているので
「あの餌を取りにいくのは危険だ」
と感じて、その餌に近づくのは避けるんでしょうがね。
「快を求めて苦を避ける」
もし神様がいるとしたなら、神様は全ての動物を
アメ(快)とムチ(苦)
でコントロールしているのに違いない! なんて感じるこのごろです。
もっとも、何を「快」と感じて何を「苦」と感じるのかは、生物・動物の本能によってそれぞれ違うんでしょう。
そう言えば どこかに他の動物のフンがとても好きな虫がいた気がします。何かの本で読みました。
でも、私は他の動物のフンが好きだなんていう虫の気持ちなんか 全く理解できません。
でもこうやって考えてみると、神様は私達には楽しみや喜びと同じように、辛さや苦しさをも与えてくれてるんですね。
じゃあ、
「辛さや苦しさのない世界に行ったら
とっても幸せになるんじゃないか?」
なんて考えたりもするんですが、こんどは
そこで待ってるのは・・・
「死ぬほどの退屈」
とまた、これはこれで拷問に近いものがありそうですね。(月刊石井裕之で聞いた気がします)
ということは、人はどうやったって
「苦」からは逃げられない
っていうことなんでしょう。
仕方がないから、致命的になるような「苦」は避けて、少しでも楽な「苦」で済むように考えたいと思ってます。
でも逆に考えると、どこに行っても
「快」も待っていてくれる
のだと信じたいですね。
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