研究レポート77・遊びは最高の学び! 子どもが箱で見つける世界の法則
77歳になって、あらためて「研究ごっこ」を始めてみました。
タイトルは勝手に《研究レポート77》。
人の心や動物の行動、進化、そして「命ってなんだろう」という感覚を、自分なりに見つめ直すノートです。
大人には遊べない「箱」
放送大学の音楽に関する授業で、先生がこんなことを言いました。
「(弁当箱のような)ただの箱をもらったら、あなたはどうやって遊びますか?」
教室の大半は大人の学生。
「ふたもない箱ひとつで、どうやって遊ぶんだろう?」と、私も首をかしげていました。

でも、実際に小さな子どもにその箱を渡すと、驚くことが起きます。
たたく
裏返す
なめる
放り投げる
何かにぶつける
その他にも、次から次へと「遊び」が生まれるのです。
遊びは学びだった
このとき私は気づきました。
子どもたちは単に遊んでいるのではなく、世界を学んでいるのだと。
叩けば音が出る
見える形と実際の形の違いを知る
どこを叩けば壊れるかを知る
投げればどう落ちるかを体で理解する
こうして世界の法則をひとつずつ体験し、脳に刻んでいるのです。
(ちなみに「錯視」とは、こうして学んだ“見え方と実際の関係”が、特別な画像によって裏切られたときに起きる現象ではないか、と私は感じています。)
アフリカの野生動物誌
人間だけではありません。
ネコでもイヌでも、ゾウでも、赤ちゃんのころはとにかく遊び好きです。

黒田弘行さんは『アフリカの野生動物誌』の中で、
「遊び盛りの子ゾウたちは
食事もしないで押しくらまんじゅう」
と言っていました。
遊ぶことは、すなわち生きるために学ぶこと。
それは生き物に共通する“おきて”なのだと思います。
今日ためしてみたいこと
今日の小さな実験として――
「自分にとっての遊びはなんだろう?」と考えてみませんか。
子どものころの「夢中になった遊び」を思い出してもいいし、いまの日常の中で「気づけば没頭していること」でもかまいません。
それはきっと、あなたがまだ学び続けている証拠です。
今日の気づき
遊びは“命の学び方”そのものだった。
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